秋深き

 晴れ、気温は6度。寒さが徐々に身に染みるようになってきた。

 並木道のナナカマドの葉は綺麗に紅葉し始めた。銀杏の葉やモミジの葉はまだ緑いろをしている。この辺りでは、ナナカマドが一番早く紅葉するのかもしれない。

 「秋深き隣は何をする人ぞ」

 という有名な松尾芭蕉の俳句がある。この俳句を耳にした時、秋の食卓に上るさんまを焼く匂いを想像したものである。今でもそうだが、家への帰り道、丁度夕餉の食事仕度時に各々の家から排気される匂いに、その家が夕食に食べるであろうものの匂いがあるものだ。その匂いからこれから家族団らんで食事が思い浮かばれ、その家庭の事を勝手に想像したりすることがある。

 自分は、そういった感じでこの句の意味を解釈していた。ちなみに「深し」ではなく「深き」である。

 しかし、調べてみると病床にあった芭蕉が、閉め切った寝床に横に成りながら漏れ聞こえてくる近所の物音から何をしているのだろうと思いをはせる歌らしい。この俳句を知人に送った2週間後に芭蕉は亡くなったそうだ。

 本来は、秋の情景の寂びと自分の病を重ね合わせ、当時出席予定だった句会に参加できない心情を読んだとも解釈できる。

 この五七五の言葉の簡略化された部分を聞く人それぞれが想像を膨らませ想像する。そこに込められた思いが幾らでも思い浮かぶような句が、良い俳句なのだと思う。

 自分のようにこの俳句から、さんまを焼く匂いを浮かべるのも人それぞれである。自分もこれを真似て、


 「秋深し いねむり猫は 何思う」

 と作ってみた。駄作である。