ルールはルール

 晴れ、気温はマイナス7度。

引用 サンスポ(http://www.sanspo.com/geino/news/20180306/tro18030605010002-n1.html) 

前を走る車が遅いと腹を立てて無理やり停車させ、運転していた男性に暴行を加えたとして、三重県四日市西署は5日、暴行と道路交通法違反(通行区分違反)の疑いで、同県菰野町の無職、松岡紀彰容疑者(77)を逮捕した。暴行は否認している。

 動画も見たが、切れる老人の典型だろう。こういった切れる方の特徴は、言葉を発することで徐々に感情を爆発させる。今回の場合、追い越す過程で車内で罵詈雑言を繰り返していたのだろうと想像できる。

 映像では、細い道路で曲がりくねっており慣れた運転手でなければ余りスピードは出せない。物陰から何が飛び出すか判らないからである。

 普段生活道路として使用しており感覚で運転できるこの地域に生活している人ならスピードを出して通行するのだろうと思う。

 そういった考え方のギャップは常にあるわけで、怒る人の典型はやはり自分の考えが全てと思う方が多い。自分の考えを少しでも変えたくないという思いが強すぎるのだろうが、そう言っている人間と話すと最初の言葉と最後の言葉が不一致になることも多い。

 冷静に考えれば起こっている理由は、目の前の些細なことが気に入らず後付けで理由を考えて怒っている自分を正当化しているに過ぎないのだが、冷静になっていないためそのことも考えられなくなっている状態にある。


 こういった人に限らず、自分の信念と思っていることの大部分は実際は後付けのことが多い。自分の行動を正当化しようと自己防衛反応が働くため、自分の行動に理由を付けようとするからである。この部分は、起こっているどんな人にも共通する。怒りの原因は、直前に起こった自分を不快にさせる相手の行動であるのだ。

 その点でいうとこの人の言動はどこから来ているのか不思議に思う。

引用 IZA(http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/180305/plt18030520400007-n1.html

鳩山氏が2日に書き込んだ投稿は、次の通り。

 《日本が受け入れたポツダム宣言により、竹島などの島々の帰属は連合国、事実上米国が決めることになった。米国は2008年に竹島は韓国領と決めた》

 1951年調印のサンフランシスコ平和条約では、日本が「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」を放棄すると定めたが、竹島(韓国名・独島)は含まれていない。外務省も、ホームページで戦後の歴史的経緯を説明し、「竹島は我が国の領土」と明記している。

 この人は、元首相だった人である。彼が首相だったのは、2009年のことで、2008年の当時の首相は、福田康夫麻生太郎の両氏であった。

その言葉の理由は、取材に対して以下のように答えたとされる。 

米政府機関の地名委員会が08年、データベース上の帰属先を「韓国」から「主権未指定」に変更した後、再び「韓国」に戻した経緯を指していると明かし、こう語った。

 「日本は厳しく反論すべきだったが、しなかった。だからといって、『竹島は韓国のもの』と言っているわけではない。こうした歴史的事実を無視せずに対応する必要がある。国際司法裁判所に中立的な判断を示してもらった方がいいだろう」

 きっと彼の中にきちんとした論理の形成はあるのだろうと思う。その論理が形を成すところの回路が他の人には奇異に映るのだと思う。

 これも又、普通の人の意思の形成もこんなものだと思う。人は、自分の考えを形成するまでの間色々な情報を仕入れながら考えた末に出た答えを自分の意思とする。しかし、その意思は不変ではない。与えられた情報の種類により洗脳とまではいかないが思想が偏ることはあるし、時には変節することもある。

 彼らからすればその意思の変わり方は、よく言えば柔軟であり悪く言えば芯が無い状態でもある。それは、大小はあれど多くの人に共通するのも事実である。

 論理的に正しい行動を取る場合、やはり何かの基準を必要とする。その基準から外れているか外れていないかを確認するためにルールを明文化している。しばしばそのルールを逸脱しようとする人間が往々に存在するのも事実である。それは拡大解釈であり、そのルールを決めた当事者ではないため自分の都合の良いようにルールを変更しようとする。そのためにルールそのものを変えようとする。

 我々は未熟なのである。考えは不変ではないし、ルールも時と場合によって使い分けられてくる。それが当たり前のように通じるとやはりそれに不満を持つ者が不平を漏らす。それに対応するためにまたルールを変える。その行き着く先はルールであってルールで無いようなものが出来上がるわけである。

 自分の考えを世の中のルールにするためには、そのルールを曲げてまでも許される権力が必要という訳である。だから、老人は非難されるし、鳩山元首相も非難を浴びるわけである。