やまゆり園の事件に考えること

 曇り、気温はマイナス3度.時折雪がちらつく寒さである.東京で桜の開花宣言が出たらしいが、緯度の差は大きい.

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 この事件、自分の中で躊躇するものがあった.それは、異常な事件という言葉で簡単に片づけられるものではないと思うからである.

 世の中に多くの人と違う考えを持つ者は多数いると思われる.その数が多いか少ないかと言えば少ないはずである.多数であればその考えは普通となるからである.

 例えば第2次世界大戦の頃のヒトラーユダヤ人を排斥しようとした時、それに反対する者はいなかった.多くの人は彼の言葉を支持しそれに従った.もし、きれいごとを言うのなら人間性を失った行為であると断罪できるのだが、本当に真の人間は清らかで美しいものなのかという疑問符が付き纏う.

 人間の本質が善であると断言できるのならこの事件はそれを失った人間が引き起こした悲惨な結果であると納得できるが、実際は、人間が善である保証は残念ながらない.もしかすると例外なくこの被告と同じようなダークサイドを隠し持っているのではないかとすら思えるからである.

 ダークサイドはあくまで心の中のダークサイドで、実際に行動に移す移さないは別である.それを実際に行動に移せばそれは事件だが、多くの人間は実際には行動に移さない.

 こういった人間の持つ闇の部分をこの事件は暴こうとする.それに逆らうためこの事件を知った人間は全否定する.こんなことは人間としてあり得ないことだと.しかし、実際は違う.

 

 もし、生まれつき人間がそのダークサイドを持つ生き物だとしたらそれを封じ込める努力をしていかなければならないということになる.