核ごみの処理負担は誰が引き受けるべきか

 霧、気温は6度.昨日の雨の湿気で30mくらい先は見えない状態になっている.この霧の上は晴天だろうから徐々に気温が上がれば直ぐにでも消えていくだろう.

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 道内での話題はこの件がトップに来る..しかし、興味がない人にとって興味がないだろう.それは都会から遠く離れた過疎の町の出来事であり、自分の住んでいるところから離れていればその距離に応じて無関心になることは否めない.

 今回の出来事は、町の復興に核ごみ処理のお金を利用しようという考えから来ている.文献調査だけでも20億円程度の補助金が入ってくるのだから、それを利用しようとする町や村が有っても不思議ではない.しかし、そこに住む住民にとって本当に核のゴミは持ち込んで欲しくないというのが本音だろう.

 日本全国過疎化が進んでいる.日本の人口の減り具合より遥かに都会から離れた市町村の人口は減っているのが現実である.そこに人を呼び込もうとしても観光資源があれば別だが特段人を呼べるようなものが無ければそこに人を呼び込むことはできない.それは努力次第と人は思うかもしれないが、ことは簡単ではない.そしてこのコロナ禍である.人の移動が止まり経済がダダ下がりすればそこで暮らしていける人は少なくなる.

 しかし、政治はそのことに関して良い解決方法を見出していない.与党、野党共に向いているのは人口の多い市町村で既に有権者が減っているような地域に足を運ぶ回数も減るのは当然である.

 そういった流れを変えることが必要なのだが、時間と共にその手立ては遅れ回復不可能な所に追い込まれていると言って良い.

 その中での寿都町の決断が核のゴミを受け入れる前の文献調査へ手上げしたことがニュースになった.道内のマスコミ特に北海道新聞は、反対の立場をとり報道した.確かに反対するのが正しいように見える.どこで使ったか判らないような核のゴミをなんで北海道が処理しなければならないのか考えることは正義のように感じるかもしれないが、そういった行為をしなければならなかった町民の気持ちも尊重すべきだろう.

 この先核のゴミを受け入れなければならない場所は必要になる.それは日本全体の課題である.例えばエネルギー消費量に応じて各都道府県に核のゴミの受け入れを分担するような方法を取っても良いだろう.人口が多い少ないでごみ処理を少ないほうに回すのは適切ではない.処分するなら利用者にそれ相応の負担が必要だろう.