朝日新聞

 雨、気温も低い。このまま残暑から晩秋にジェットコースターのように変化する。体調に気を付けるべきだろう。

引用 朝日新聞http://www.asahi.com/national/update/0926/TKY201209250736.html

 

 中央大学横浜山手中学校(横浜市中区)が今年2月の入学試験で、合格ラインを下回った同大理事長の知人の孫を合格させていたことがわかった。受験生側は口利きを依頼した事実はなく、通常の合格と考えて入学手続きを済ませたところ、この不正な合否判定を知った同大学長の要求で、中学は合格を一方的に取り消した。大学理事会が設けた第三者委員会(委員長・宗像紀夫弁護士)はこの二つの行為について理事長、学長らの責任を認定し、処分を求めている。

 この問題、朝日新聞のスクープから始まった。不正発覚の発端は、大学への内部告発らしいが、朝日にもあったのだろう。

 朝日新聞の論調的には、不正な入試はいけない、しかし、この受験生に罪は無いので合格させなかったのはおかしいというところに落としどころを持ってきている。

 罪は憎めど人を憎まずというところに自分たちの報道の良心があるところを見せたかったのだろうが、この報道により、広く知れ渡ったわけで、結果的には子供の人権を蹂躙している結果になった。この子供は、合格しなかったばかりか、事後の報道で広く世間に知られ、(少なくともこの少年の周囲の人間に気づく人は大勢いただろう)何の配慮も無かったことになる。

 もし事の本質が、不正な合格を許すまじとするなら、この合格を認めなさいということに矛盾が有る。結果的に子供がその事情を知らないなら一度合格したものを取り消すのはおかしいという事になる。でも、成績的に学校に着いて行けないレベルだとしたら、この学校に行くこと自体が本人の将来を狂わすことになるだろう。その将来に朝日新聞はどのような対応をするつもりなのだろう。

 例えば、自動車の運転免許試験で不正があり、未熟な技能の運転者が車の免許をとった、その運転手は、自分が不正な方法で合格したのを知りませんでしたと答えたなら、その運転免許証の合格を取り消すのはおかしいと警察を非難するつもりなのだろうか?

 普通なら不正に合格した者が、未熟な運転技術で事故を起こす可能性を予想してその合格を取り消すのが正しい姿ではないだろうか。しかし、朝日新聞はそうではないらしい。

 もし世の中全体のためにどうしても個人が有る犠牲を強いられなければならないことがある。その正当な理由が正しければそれも民主主義国家としてそれに従うのは国民の義務である。しかし、今のマスコミの中に恣意的にその個人を取り上げ正当化することによって本来しなければならないことを妨害するような姿勢があるように思える。

 確かに何かをしようとすればその行為に係る人間の中に犠牲を強いられる人が出てくる。その行為が明らかに逸脱しているならともかく今後の国家のために必要ならば、未来の日本人のために必要ならそれは個人の何らかの犠牲は許されるだろう。そのために補償制度がある。それさえも許されないとしたら国家は新しい社会を作れない。

 消費税の問題にしても、当初、朝日新聞は、消費税に賛成の立場をとってきた。しかし、最近になって、消費税による景気の冷え込み、家計負担の記事を掲載し国民の不安を掻き立てるようになってきた。

 消費税は、税金であり今まで国民が負担してこなかったものである。国民の中に不満が有るが、将来の日本のためには必要という思いがあったはずである。しかし、その流れがまたもや変わろうとしている。国の将来を考えるなら、当初消費税に賛成していた立場を変えないなら、その消費税アップをどのように対応するのかを論調の柱にすべきだろう。

 

 それを節操もなく変えるのなら、ただの扇動者でありいたずらに社会を混乱させるものである。新聞の役目は終わったようなものである。もし新聞が公器というのなら節操のない報道を今すぐ辞めるべきだろう。

 今日の朝日新聞天声人語自民党を批判する言葉がつづられていた。しかし、それはそっくり朝日新聞が辿ってきた道だと思うけれどその自覚はないのだろうか。