雨、気温は15,6度。終日雨らしいが、この雨が通り過ぎると冷たい空気が入り込み、秋が深まるらしい。
JR北海道の件は、叩けば叩くほど埃が出る状態で、収拾のめどがつかない。国土交通省が全面的に監査に入ったので、公に成る成らないを含め、色々な部分で膿が漏出するのだろう。
こういった会社的危機の際にどうやって収拾をつけるのか、つけるとしたら上層部の入れ替えに成るだろう。社長交代に及ばず、管理部門の責任者は全て交代するくらいの気持ちが無ければ早急な改革は無い。
こういった組織は、得てして内部で改革しようとしていた人は煙たがれ早々に会社を辞めて行くことが多い。それは、自分の意思を殺してまで仕事をしなければならないからだ。
となれば残りの社員は、自分の意思を殺し社内の風土を受け止め事なかれ主義で生き残った人間ばかりになっているはずだからである。そういった組織を自分たちで根本的に変えるなど到底無理である。
その証拠に、今回の保線部門の管理者が事態をいまだに把握していないという、極めて恥ずかしいことになる。まさしく武家社会なら切腹物の一大事だろう。それが未だに生き残っているのは、組織としてのタガが外れてしまったという事だろう。
本来なら、あの前社長が自殺した石勝線の事故の時に、組織的な改革を自らが行うべきだったのだ。実際、その時のお詫びと改革の意思がJR北海道のトップページに掲載され続けていた。しかし、この情報を見ていたのは、社員では無く一般市民の限られた人だけで、全く形だけに終わっていたという事だろう。
JR北海道にも可哀そうなところがある。北海道の過疎化地域を結ぶ不採算路線を多く抱え、黒字と呼べるのは札幌近郊の通勤圏内の路線だけで、その他の所は、列車を走らせるだけで赤字が膨らむ所ばかりだからである。一層の事、黒字路線だけ維持して他の路線を切り離せたらどんなに幸せか社員一同思っていたことだろう。
そうなれば、自分たちの仕事も安泰だし退職金も保証されるのに、そうならないばかりに不安定な職場で働かず負えず、その悔しさをどこに向けるかと言えば仕事をサボタージュするしかない。
昔の事だが、まだ国鉄と言われた時代、国鉄職員が腕に国労、動労と書かれた腕章あるいは鉢巻を巻いてストを行っていたのを思い出す。あれは労働者の権利であるという名の元、自分たちの労働時間を減らし給料を上げようという今でいえば何と贅沢な時代だった。もしそれを現代でやれば、どれだけ利用客から批難されたことだろう。
労働者の権利を叫ぶ時代は終わりを告げ、逆に労働者にとって面従腹背の時代がやってきた。その中で、昔と同じように楽して金を得ようと思えば、如何に自分たちの労働の質を限界まで下げるかが当面の目標に成る。会社からは仕事の効率化を言われ、監視も厳しくなるがそれを避けつつサボることが目的となった部分もあるだろう。
今回の保線作業については、地区ごとに保線作業の進み具合が異なることから、上記のような事柄が原因となった可能性もある。全ての社員がそうだという事でもない。でも一部の社員がそういった事を起こせばそれはやはり全社的な問題となるのは、今回のことだろう。
大きな会社は、常に崩壊の危機を迎えている。それを意識しないで会社組織は維持できないはずである。