時間

 曇り、気温はプラスの2度。雨が降るかもしれない。

 情報化社会が世界の距離を縮めたと同時に時間という概念を縮めた。元々時間は距離などのように目で見て確認するものでは無い。普段生活しているうえで時間の変化は、太陽の動きであったり季節の移り変わりのようにゆっくり変化をしているもので、その流れを視覚化させる仕掛けが無ければ気付かない代物である。更に、その時間の流れは、人それぞれによって異なるものである。

 しかし、その人それぞれに変わる時間感覚をも平均的に短くさせている物が、情報化システムの発達である。昔なら、日本が昼間の時は、イギリスやアメリカは眠っている時間であったので、自然と経済活動を行う時間がずれているため休むことができたが、今では、24時間情報が手に入るため休まないで活動する人の割合が増え、時間を早く感じる人が増えてきている。

 その流れは、加速度的である。何時までも止まる様相を見せない。

 自分は、ゆっくり時を過ごそうとしていても周りがそれを許さず、その自由な時間をも奪い去って行き始める。何かに追われて過ごすうちにそれが無くなれば、自分の歯車が狂いそうになるため何かを求め始めてしまう。そういった時間に追われてしまう人間が増え始めたと思う。それは、引きこもりになっても同じことである。その別な空間にいる間に周囲は加速度的に変化してしまうため、外に出るときは、いつの間にか時間がジャンプしていることに成る。

 時間を有意義に使おうとすればするほど、何かに追われてしまうことになる。人の人生の相対的な長さは、原始人の時の寿命と同じ長さを生き抜くことに代りは無いのかもしれない。