普遍と思える日常

 晴れ、気温は5度。


 未来を予想するのは不可能である。明日がどうなるかなどという事を予言できるならその人は未来からやってきた人に違いない。

 漠然と明日も今日と同じ日がやってくるだろう、日常の繰り返しに過ぎないと思っていても何らかの変化は当然起こるのは誰もが知っているが、その変化量は少ないだろうと予測しているだけである。

 だからその変化が劇的であればあるほどそのことが起こったことが信じられない思いとなる。もしかすると明日大地震が再び起き大津波で街が飲み込まれるかもしれないし、搭乗していた飛行機が墜落するかもしれない。道を歩いていて暴走車に撥ねられてしまうかもしれない。

 そういった劇的変化が起こる確率は数パーセント存在するが、それが起こらない確率は90パーセント以上になるのは確実である。ただし、危険な仕事に従事しているような場合は、その危険度は上がるのは仕方がない。

 いつもと変わらぬ日常を迎えられるのが幸せでありそれを当たり前と思うのも普通なのだが、今日、何事もなく目覚められるのも一つの幸せなのだろう。