記憶は作られることがある

 曇り、気温は7度.太陽が顔を出さないため寒さを感じる.

 

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 生まれてから今の瞬間まで全ての事柄を記憶できる人は存在できない.同じ状態の繰り返しだと会社の行き帰りの出来事なども何も起こらなければ記憶することは無い.

 しかし、特徴のある出来事、例えばすれ違った人とぶつかり口論になったなどの記憶は、何度もその現場を状況を頭の中で再生するため鮮明に相手の顔などは記憶に残りやすいものである.しかし、その記憶も何度も再生されるうちに所々抜け落ちてしまう.例えば相手が着ていた服装の色などは、最初は灰色と記憶していてもそれが実際そうだったかは断定できない.余程特徴のある色や柄であればある程度特定できるかもしれないが本当にそうだったと聞かれればあやふやでもある.また相手の人相もそうであるが、その時に見ていないので、例えばテレビに出ていた俳優に似ていたなどの特徴があれば記憶に残るが、眼鏡を掛けていたならその眼鏡を掛けていた印象しか残らなくなってしまう.

 先に書いたように脳内で何度も再生されるうちに細部はぼやけてくる.それを補うために自分で記憶を作り出すことがある.今回の事故のように、自分はブレーキを踏んでいたという記憶が自分の中に何度も再生されれば、うその記憶が作られてしまう可能性があるだろう.

 今回の事故は、車が急加速した際、ブレーキを思い切り踏んだと言うが、動転していたかもしれないが、ブレーキ=停車と体は覚えているので急加速した際、ブレーキを緩める動作を反射的に行うはずである.それでも尚、ブレーキを緩めず加速し続けたのは、何らかの体の異常が起きていた可能性が高いだろう.

 今回の被告の証言は、ブレーキを踏んだ足元を確認した際、アクセルペダルは、床に張り付いた状態に見えたと証言している.その記憶が本当にあったことなのか、被告本人が作り出した記憶なのか証明することは難しいだろう.

 仕事の現場においても、自分は赤いスイッチを押したと証言する人がいたとしても他の人は緑のスイッチを押していたという場合がある.咄嗟の出来事が起こり緊急の対処をする際スイッチを見ずに何かをしてしまうことがある.その咄嗟の行動が常に正しい方向にならないのも現実である.自分でしていることが正しいと思いこんでいるため間違った動作をしていると気付かないこともある.これは日常的に起きることで、間違った行為をしても自分は間違ったことをしていないと改めて主張することも多い.

 ただし、こういったケースも配線間違い等で真逆の動作をする場合もあるため絶対に起こらないとは言い切れない.ただし、その場合は現物が残っているため調べれば事実は明らかになる.その事象に再現性があることが多いので、今回の事故のように車は大破したが概ね部品の具合を調べられるため、機器的故障があればある程度の確率でわかるだろう.

 しかし、何事も科学的調査では100%ある、ないと断定できない.科学とはそういうもので99%ない、それでも残り1%は起こり得る確率があるとしか言えない.