過激思想

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引用 東京新聞http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201607/CK2016070402000106.html

 

バングラデシュの首都ダッカの飲食店で起きたテロで、店内一角の事務所に逃げ込んだ従業員に、日本人を残してバングラデシュ人は外に出るよう武装集団が指示していたとする証言を地元メディアが報じた。人質となった人たちの証言によると、実行犯はイスラム教を汚す外国人に嫌悪を示す一方、イスラム教徒には礼儀正しかった。

 一日、ラマダン(断食月)明けの祝祭を控えた週末の夜だった。国際協力機構(JICA)関連事業に携わる日本人技術者らがテーブルを囲むレストランに武装集団が乱入した。

 ある従業員は客の日本人男性と共に店の一角にある事務所に逃げ込んだ。実行犯は現地語を話す若者たちで「外国人と異教徒を殺すために来た」と繰り返した。事務所に人がいると気付くと、日本人を残しバングラデシュ人は出るよう指示。その後、銃声が聞こえた。

 今朝、犠牲になられた方の遺体が政府専用機に乗せられ帰国した。亡くなられた方は、特に何か政治的活動をしていたわけではなくバングラデシュの開発支援のために訪れた方たちだった。

 ISというのは過激思想を持つ集団である。その過激思想は一種の新興宗教に近い。その共通点は、指導者の言葉が絶対で、それから外れることを許さない点である。

 なぜ、そういった活動は一体感を求めるかといえば、他者依存性が関係しているのだと思う。ある一人の指導者の言葉を絶対とすれば自ら考えて行動することをせずに済むからである。更に言えば指導者の命令で行動したことにすれば、殺人も自分の意志で行ったものではなく他者のいうがままに行動するという理由をつければ自分の心に傷はつかないからである。

 宗教は、一種の麻薬である。一度依存してしまうとその環境が心地よくなりさらに同じような考えを持つ多数の人間がそばにいることにより安心感さえ持つ。徐々に個人の意思というものをなくし集団の意識が自分の意志だと勘違いし始める。そうなれば働きアリと同じである。命じられるままに行動し、多くの人間を犠牲にすることを厭わない。そして、その行動こそが自分の人生の目的だと勘違いする。一度組織から離れ冷静に考える時間があれば別だけれど、そういった時間も考える意思もやがて失うのである。


 今回の犯人の多くが20代で20歳以下も一人混じっている。また、今回行動に加わるきっかけになったISとの接触は、2年前からということで、数年で過激思想に染まってしまう現実がある。

 今の日本でもそういった過激思想に染まる土壌は既に存在し、実際オウム真理教という組織が生まれ日本でテロ活動をしたという記憶はまだ新しい。

 そういった活動に若者をさせない工夫というのは難しい。根本的にはそういった危険思想を持つ団体の活動を禁じるということしかない。しかし、そういった宗教活動は、信教の自由という形で不可侵であり、だれがその宗教を危険と任じるか難しい部分がある。実際、危険団体として指定されたオウム真理教の派生団体が現実に日本国内で宗教活動を行っており、その活動を強制的に禁じることができないでいる。

 その理由は、やはり日本国内にある宗教団体から政治家が支援を受けているからである。信教の自由は守られて良いと思うが、政治に宗教を持ち込むことは禁じられるべきで、最初に挙げたように過激思想は、宗教に通じるからである。同じ思いを持たされることで自分たちの行動を正当化し、自分を犠牲にすることを厭わない部分は、今後、ISに触発された団体が日本に生まれる可能性は高いと言わざる負えない。