戦争は続く  新聞紙は15年後に消滅

 晴れ、気温はマイナス15度.寒気の居座りと放射冷却現象でもの凄く冷え込んでいる.今年一番の寒さとなった.

 

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 年が明けても戦争は終わらず.お互いに兵隊が死んでいる.戦争では一般人と兵士は区別されており、戦闘に加わる兵士はお互いに殺人とは言わない.これは戦死の区分になる.

 お互いに殺されることは戦闘を繰り返している中で悟っているだろうが、戦争が起きなければ起きなかったことである.更に言うと兵士に戦えと命令する側は、兵士を地図上に展開された印の中の一つとしか見えておらず罪悪感を覚えていないだろう.それは、プーチンにもゼレンスキー大統領にも当てはまる.こういったことが続かないように戦争は終わるべきだ.

 第二次世界大戦の時の日本もそうだったが、相手をコテンパンにするか自分達の戦争遂行能力が無くなるまで戦いをやめようとしない.それが戦争のルールになっている.

 戦争をやめる決断は、その時の指導者の考えに掛っている.相手が戦うことを止めなければこちらも自ら攻撃を止めない.終戦前の日本は、日本の各地で爆撃機による絨毯爆撃を受け更に核爆弾で多くの一般人が死んで漸く降伏することを決めた.もし、その決断が早ければ早いほど多くの犠牲を生むことは無かった.最後まで戦い抜いても途中で降伏しても結果的には何も変わらなかったはずで、早めに降伏した方が良かったとも言える.その国の未来が消え去るまで戦い抜くことに何の意義があるのだろうか?

 

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 新聞の発行部数が年々減少しておりこのまま行くと15年後に紙の新聞は消えてしまうだろうという話.以前から新聞紙の購読数は減る一方だったが、ここにきて新聞社が購買層に媚びを売るため自分達の新聞を読む層へ迎合したと感じたのは、数年前からのことである.

 以前朝日新聞は、今よりは右も左も取り込もうという姿勢は少なくとも見せていた.しかし、安倍元総理が総理大臣を務めていくうちに極端な反安倍になり、徐々に中立の立場の人を徐々に遠ざけ始めたと感じる.自分達の記事に反応する読者層を逃すまいとどんどん先鋭化した感じである.その傾向は朝日新聞に限ったことではない.多くの国民が毎朝目にする媒体だった頃は、それがテレビ以外で目にするニュースであった.そのニュースは生活に必要なものだった.それがインターネットの隆盛と共に、速報性という点で新聞紙は遅くなってしまった.当然インターネットのニュースは各新聞社、テレビ局の記者が取材して流している物だったが、そこにSNSが加わり情報源が多彩になった感じがする.それが情報の消費者にとって自然に湧いてくるものと認識が強くなってしまったのではないだろうか.

 更に言えば情報の伝達者だったテレビ局もCMのスポンサーが減り、坂道を転げ落ちるように衰退してきており、年末年始の番組は特定の人をあたかも対象にしているかのような作りに変わってきている.何となくお金が無いからこの辺で許してくださいというような番組作りが目立つ感じである.

 新聞社、テレビ局が衰退して影響があるのは情報の発信が低下することである.職業として成り立たなくては誰も記者として活動しないし成りても居なくなる.誰が巷の情報を収集するのかと言えば素人が流す情報だけとなりその裏取をしないニュースだらけになる恐れがある.

 SNSに流れる情報は個人の裏話であり、正確性に欠けることはご承知の通りで、若年層はその裏取りの無い情報を信じて行動する場合も見られている.本当に紙の新聞が無くなると予想される15年後ではなく、もっと早い時期に潰れてなくなる新聞社が出てくるだろう.

 もっと恐ろしいことは、どこかの外国資本に買収され世論操作される恐れもあることである.今でも外国資本に汚染されている感じはするがそれが顕著になるところも出てくるのだと思う.

 例えば朝日新聞が中国政府の発表をあたかも国内ニュースとして報道することを想像してみたら良い.

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 既に中国国内でニュースをニュースとして報じることを共産党が認めなければ報じられない体制になっている.

 新聞社、テレビ局が衰退した時に、日本国内のニュースを取材する組織が必要だと思う.それがそういった組織になるのか判らないが、NHKのような組織が必要なのかもしれない.しかし、その組織が時の権力者による検閲を許してはならないし、政党、宗教に影響されるような組織であっても困る.情報は誰かが掘り起こさなければいけないことを国民は認識すべきだろう.