辺野古

 曇り、気温はマイナス5度。

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 今日も全道的に雪はなさそう。日中はプラス気温になるところが多そう。

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 国と県そして周辺市町村の自治権をどうとらえるかとは別にそこに関わる媒体という名の見えない何かから出てくる力が関わってくる問題でもある。

 国民がとらえる沖縄の米軍基地の移転問題とマスコミが報じる理想論との間のギャップがあるのではないかと思う。沖縄に住まない多くの国民にとってやはりこの問題は身近な問題ではない。これは多くの地方で起きる問題も同じように取り扱われる。しかし、マスコミはこの問題を戦争と平和というところで論じようとする。一地方の問題として考えるか国家的問題としてとらえるかで判断は異なるだろう。

 もし、これが基地問題という小さな視点で考えると沖縄という島の中央にある普天間基地は危険であり騒音問題を現在抱えているわけで、それを沖縄という島の中で考えるのなら無くすか移転するかの2択ということになる。2択であればどちらを県民が選択するのかのだから、沖縄県民あるいは普天間基地のある宜野湾市、移転先の辺野古がある名護市の住民の住民投票で決めるのが正しいのだろうと思う。しかし、この基地が米軍が使うというところで問題を一地方時自体の問題から国を加えた国家間の問題に変えてしまう。国対国の問題なためそのパワーバランス及び、日本周辺の国対国の軍事的緊張も含んでいるわけである。

 マスコミの多くは、沖縄の米軍基地の問題を第2次世界大戦終了後のころから続く理想論でまず報じる。世界が平和であればという理想の中で論じるなら軍隊は必要ないわけですぐにでも軍事的能力は無くすべきである論である。まったくもって米軍、自衛隊が使う基地は無くす必要があると報じるのは今の世界情勢の中に日本は存在しないと考えているとしか思えないわけである。そのため、報道の中身は本来なら世界情勢の中で日本がどうあるべきかの視点と基地周辺に住む人たちの視点という2つの異なる視点をバランスよく報じることができなくどうしても直接影響を受ける住民の視点よりの報道となっているわけである。

 日本が終戦後、世界に対して宣言したのは戦争放棄の理想である。それを実現するために国連という機関を通して平和な世界を作り上げることを目指しており、そのことはマスコミにとって錦の御旗でありそれに沿って報道すればよかった。しかし、終戦後から80年以上過ぎた今、世界は次々と変わっているのにも関わずなぜか沖縄という部分では報道姿勢は変わらない。いわゆる沖縄はマスコミにとって変えることのできないアイコンである。沖縄を報道する時、それを変えることのできない掟の様なものである。

 しかし、突然マスコミが一斉に日本は自衛隊ではなく日本軍という軍隊と呼び始めたらそれはそれで恐怖を感じるだろう。だから、すべてのマスコミが同じ視点で語るのではなく様々な視点で報道すべきと思うのである。しかし、これもまさしく理想論であり実際は世論というものに左右される。

 この先の未来が、日本の周囲では戦争も起きないと保証されるのなら簡単である。軍隊を持つことなど無駄の境地である。残念ながら日本周辺でこの先戦争が起きる可能性は少なからず存在する。一つは、朝鮮半島情勢であり、もう一つは中国の台湾併合である。そのどちらかあるいは両方に争いが起きれば日本にも必ず影響がある。