教師という名前を持った人間

 曇り、気温は15度。

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 日本列島は高気圧に覆われ、北海道も今は雲が多いが徐々にお日様が顔を出す予定。気温もそれに伴い夏日近くまで上昇する予定。

 

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 北海道札幌市の中学校で起きた事件。生徒の個人情報を書いた書類を置きっぱなしにしたことで情報が拡散してしまった。漏洩した文書の中身が事実だとしたら本当にひどい話である。担任する教師として生徒の個人情報は把握しておく必要性は高い。家庭環境、交友関係などの情報は生徒指導をするうえで必要な情報である。何も知らずには何もできないといって良い。そういった情報を教師が持っていることは必要なことなのだが、それが外部に公になることは非常にまずい事態である。こういった情報はきちんとした管理が必要だし今回のようにみだりに持ち出すことを許すべきではない。

 そして問題がもう一つある。それは生徒個人の思いとは別に特定のレッテルを張られることである。その情報が誤解に基づくものであっても訂正されることはできないことである。教師が間違った情報で生徒を色眼鏡で見ることもあるということである。

 自分も中学生の頃の教師の扱いに疑問を持っていたくちである。色々な情報にそって自分を見ていたのだということが薄々分かっていた。それでも真面目な生徒と認識してもらいたくて我慢していた部分もあった気がする。ただ中学生の時の評価は変えることはできなかったようだ。しかし、高校、大学は個人の評価は別になるため教師の評価などはどうでもよいと思ったことも事実で、ある意味教師をバカにしていた気がする。しかし、小学校、中学校の教師は別である。小学生の頃は親以上の存在だったし、中学校の頃は内申書というものがあった。教師に逆らえば内申点が下がるということも知っていたわけである。小中学校はある意味人格形成の大事な時期である。子供から大人に向かう途中の何も知らないところから色々雑多な情報が入り込み人生の複雑さを感じてくる時期でもある。その中にいる教師の存在は余りにも大きい。