人間社会

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 人の世は、いろいろな考えがある人が多すぎるため何時も不協和音が渦巻いて共同生活がままならない社会になっているかといえばそうでもない。

 その理由は色々考えられるが、一割の程度の過激な発言をする人、三割のそれに迎合するが過激な発言を表には出さない人、そして六割の空気を読みながら行動する人に分かれているのだと思う。

 その六割の自分では行動する気も少なく、心の中で自分の意見は持っているがそれを抑えて行動してしまう人がいるから世の中は回っている。

 一割の人間の行動が人の世の中を混乱させ騒ぎを絶えず起こしていると考えたら大体世の中の動きはあっていると思う。ここで問題なのは、一割の人間に迎合して行動する三割の人間の存在である。自分の意志はそれ程持たず風見鶏のように一割の目立つ人間に付きまとい、時には自分の意志とは別に大衆の扇動を焚き付ける補助的な役割をする人間である。

 一割の人間は、自分が何をしなければならないのかを理解している。しかし迎合する3割は、自分の意志か定かでないにもかかわらず一割の人間に付き従いあたかも自分の意志のように行動する。命令されるがままに行動する兵隊である。実働部隊と言って良い。

 このようにして社会の人間を分類してみると冷静に物事を見つめることができる。

 人類が社会を形成してから2千年以上経過しているのになぜ安定した社会が形成できないのか?その最大の答えは、一割の人間が何か事件が起きることを期待しているからである。もし事件が起きなければ自分たちで引き起こそうとする。その理由は、何も起きないことが不安で何かざわついているほうが心に安らぎを覚えるからに他ならない。

 絶えず何か事が起きて自分がそれにかかわる立場にいることが幸せなのだ。決して安定と安らぎを求めてはいない。混乱が求めるものである。もし平和な世の中になったとしても絶えず敵を求め行動に移す。敵がいなければ敵を作らずにはいられないのである。


 こういった人類が出来上がってしまった今、絶えず争いは続き人は殺されていく。人が人でないのが人間社会ということなのだろう。その犠牲になる多くが六割の自分で主体的に行動できない人たちなのだ。