危機管理

最近の事件の多くはやはり危機管理をおろそかにしたものが多い。

 普通の日常生活をしていれば、何時も同じような時間が流れ同じ時間を生きていることになる。そうすると日常は普遍なものだという錯覚に陥りがちだが、実はそうではなかった。

 道を歩いていれば事故に会うかもしれないし、部下が痴漢でつかまるかもしれないし、昔のデータを適当に入力したことが後々になって大問題になることもある。

 前提は、事故に会わないように注意し、部下を管理し、与えられた仕事を100%こなすということなのだが、やはりそれは運命というか何というか、ミスは付き物で、更に外部からの影響ももろに受けてしまう。

 そういった時にどのように対処すべきか、きちんとした対処法を日頃から作成しておく必要がある。それがあれば全て解決するわけではないが、もし、自分が明日から仕事が出来なくなった場合どのようにその代わりをしてもらうか最低限の行為は出来るようにしておかなければ組織は機能しなくなるだろう。

 そういった意味で言えば、日本の大会社というのはそのように出来ているかもしれない。社長が死んだとしても代わりが出来る部下がそのいすに座り、何事も無かったように事業が進んでいく。働くものが部品のように働き取替えが効くというなんとも味気ないシステムになってしまうのだが、そうならざる終えない事情がそこにあるのだなと思う。

 今回の社会保険庁の、好い加減な事務処理も、入力作業はバイトか下請けにやらせたものだろう。別にその人たちに罪は無いが、データの入力と不明データの突合せを行う作業は考えてみれば年金のもとデータが改竄されるといった重要なことなのだが、上部の指示は、取り敢えずデータを作れというものだったのだろう。
 そして、役人は、本人がおかしいと思って届け出てきたら対処すれば良いという考えだったのだろう。30年後にこのような問題が出てきても俺は知らん状態だったのは想像がつく。

 それにしても、朝のニュースで、元社会保険庁の役人が取材を受けていたが、自分はこのような状況が起きていたことを知らなかったという人と、取材を拒否するひと、それぞれに危機管理意識が乏しいことにあきれてしまったと同時に、自分も同様な状況に置かれた場合の危機管理の意識が乏しいことに気づかされた。

 ということで、危機管理、自分が同様の状況に置かれたときどうすべきか常に考えて行かなければならない。