介護事業

コムスンが新規および更新を許可されず、事業の全てを自グループの別会社に委譲する話題、まさしく最初は宝の山に思えた事業が、いざ始めてみるとそんな事は無かったという結果になった。

 この原因は、色々あると思う。まず、この種の事業は、必ず一つのムラ社会になっているということである。そこで生き抜くには、ムラ社会の一員としてコツコツやっていくか、その反対に、外部の者の進入に備えて出来た色々な規制を外圧或いは規制緩和などで撤廃させるしかない。
 この辺、介護事業でも厚生労働省の天下り先の確保として色々利権をちらつかせ規制策を講じているものである。

 今回のコムスン、母体のグッドウィルグループがどのように策を弄したのかわからないが、難しい面もあったのではないだろうか。そもそもこの介護事業自体が、それ程利益を生む事業では無いと思われ、その先の福祉全体を見た事業に発展させなければと思うが、今ある事業でそれ程好業績を上げているところは無いわけで、更に言えば国が規制している事業は、余り良い方向に向かっているものは無い。

 介護保険もまだ始まって時期が経っていないが、そもそもこの保険を考え出したのは、今老人或いは年金で生活し始めた世代が自分たちの世話を誰が見るかというところから始まったのではないだろうか?

 更にいえば、団塊と呼ばれる世代が、自分たちの老後を誰に見させるか、やはり信頼の置けるのは国だろうということなのだろう。もう一ついえば、家族に自分を介護させることが不可能だと既に諦めていた部分もあるのではないか。

 そもそも発想は、理想は家族や身内による介護であるが、自分の周囲の現実は、親子断絶の時代を生き抜き、更に嫁姑戦争を生き抜いてきた世代であると認識し、その理想をすて国に保護してもらおうと考えた政策であったと思う。

 そこで介護保険が始まる前は、老人ホームや老人病院で誰にも見取られず、ベットに縛り付けられて死期を迎える姿が普通であり、それを見、自分たちはそうなるまいと考えた結果が介護保険であると思う。せめて他人であっても身の回りの世話をしてもらい自宅で死期を迎えられればどれ程幸せであろうと。

 更にいえば、その政策を立案した本人たちは、天下りを重ね、介護保険の世話にならずとも悠々自適の老後を送れるようにもしたわけである。