お祭りの後

 曇り、気温も低めである。1年中このくらいが丁度よいのだが、そうはいかないのは承知である。

 
 ロンドンのオリンピックが毎日行われているが、一種の現実逃避のお祭り騒ぎだと思う。このお祭りが終われば、否が応でも経済危機の現実を直視させられる国民としては、そのことを忘れてしまう事もありである。

 しかし、世界経済の崩壊は目前に迫っており、それを抜きにしては現実は語れないわけである。
 その一つは、世界の国で一人勝ちしている国は無いことである。それぞれの国が、疲弊しており、この先の将来展望から失望感しか生まれておらず、日本もその一員である。

 それもこれも、情報化社会に生まれ育った金融取引は、世界のどの国も確実に監視することはできず、アンダーグラウンドを含めた監視の目が届きにくい所で取引された金は、その実態が判らないほど膨張している。
 それは、昔の金本位制だったらとっくに崩壊しているであろう金額である。その実体のない貨幣が、世界の金融市場を膨張させ、それが弾け始めているわけである。

 一昔前になった日本のバブル崩壊の歴史が、世界規模で起きているという事である。日本のバブル崩壊に対する政策的な立て直しが出来なかったように、世界的なバブル崩壊も有効な回復手段は無いだろう。
 1900年代の世界恐慌が、結局は、解決方法を見いだせぬまま戦争に突き進んだように、今回の世界的バブル崩壊は、何処にも解決策を見いだせぬまま、「見えざる神の手」の思うままに動かざる負えないだろう。
 そうして、世界の混沌が静まるまでの長い期間、世界経済の平穏は無いだろう。

 そして、一番恐れることは、世界的な強国に復帰した中国の存在である。金と軍事力を高め、国の勢いが増すと同時に国内が不安定化する。社会主義国家で平等が崩れれば、その政治的な統治機能がマヒしてしまう。

 そうなれば、内乱か対外国に対する侵略しか方法が無くなるのは、歴史が証明している。かっての日本が、世界的な恐慌の中で、天然資源確保するために大東亜共栄圏などという看板を掲げ、戦争に走ったわけである。
 
 中国が、そうならないとは誰も言えないし、他の国がそうならないとも限らない。一種の安定期を今まで過ごしてきたが、安定期はそう長くは続かないのも、歴史の道理である。

 そういった事を煽り立てることが、一種の火種になることは重々承知している。きっと、この不安感は、国民の誰もが少しずつ感じていることだろう。それが、判っているからこそ安心できる言葉が必要なのだが、だれもそれに答えられずにいるわけである。

 何とか、ソフトランディングして次につながるような世界で有って欲しい。