11月最終日

 曇り、西の空には大きな雲がかかっている。気温は0度。

 11月も今日が最後である。今年も残り一月、また新しい年が始まる。手元には来年用の手帳を用意した。

 今年を振り返るのはまだ早いが、行き来戻りつの年だった。一歩前に出たらまた一歩下がるというように、前に進めば良いのだが、一向に前に進まないという欲求不満の日々が続いた。今でもその状態が変わらず12月に劇的変化を遂げればよいのだけれど、それも叶わない可能性が高い。

 自分一人が悶々とするわけでは無く、色々な人が色々な考えで悶々とする。それがぶつかり合えば不審しか生まれない。

 そんな年を過ごして、本当に自分が満足できる一年であったか判らないところにいる。何だかコンサドーレ札幌の一年とリンクしながら生きてきたような感じがする。

 札幌にとって今年1年は、チームの再建という大きな課題が与えられた一年だったと思う。チーム運営費は、最低を求められ、その中でJ2を戦わなくてはならず、サポーターやファンは、その中でも優秀な成績を求め、その結果観客数は減り、今年の黒字化も危うい状態で推移した。それでも選手たちは、ここぞという時に負けても尚、下を向くことなく上に上がってきた。

 それは、選手としての意地であり、この先の自分の未来を掛けた戦いであった。ここで失えば、自分の未来を失うかもしれないという戦いの中、選手たちは最善を尽くしたと思う。プレーオフに進めなかったのは残念だったが、それ以上に得たものは大きかっただろう。

 このチームが再度、J1に上がるために戦いを始める。そのためには、何が必要か、選手出身の野々村社長は、判っているだろう。今までのように、サッカーを知らず、経営感覚も無いような社長が陣頭指揮を執り動いていた会社が、サッカー選手出身の選手が社長になって今年一年チームを運営してきたのだから称えられるべきである。

 札幌には、選手という掛け替えのない財産がある。ユースから赤黒のユニに身を包んで育った選手達がチームの大多数を占めるチームは他に存在しない。これは本当に画期的な事である。

 今は、育成からチーム作りをしたチームとして評価を得ているが、ここで結果を残すことが大切である。もしここで結果を残すことが出来たら、本当に札幌はJリーグの歴史に残るチームに成るだろう。

 ただし、何時までも純血ばかりではチームは育たない。外部からの刺激は大切で外国人選手がチームに融合し、更に他のチームから入ってくる選手も必要である。それが出来れば日本を代表するチームに成るのも夢ではない。

 札幌に元東芝のチームが来たのが1996年、既に17年。最初のユース出身者は、遠国君だった。彼が入団したのが丁度2000年である。それから13年が経ち今の時代がある。来季は、2005年に入団した石井が戻ってくる。チーム内でユースが大半を占めるのに10年が経ち、この先、中心に育っていくのに5年程度は必要だろう。その時期が札幌の黄金期に成るだろう。その頃には、今野や藤田、西が戻ってきて本当にチームは札幌がプロサッカー選手の原点である選手たちで溢れているだろう。

 あと五年後を夢見ながら、そして自分の人生でもあと5年後が最良の年に成るように気を引き締めて前を向くしかない。