引き際

 曇り、気温はマイナス2度。

 なでしこジャパンが連続して出場していたオリンピック予選で敗退が決まった。この大会の前に澤さんが引退し、それと共にタガが外れたように思う。

 ここにあるのは、やはり引き際のチャンスを逃したトップの責任という事に成る。トップと言うのは佐々木監督に成るのだが、その監督を決めたその上のトップの責任というのは当然あるだろう。

 しかし、やはり試合で結果を出せなかった責任は、その準備期間を含めて監督の責任である。時折、監督でありながらその上層部のフォローの無さを責任転嫁するように話して辞任する監督も存在するが、そういった部分を加えてしまうと本来の原因を明らかにさせる作業を滞らせてしまうため原因究明をするためには、それぞれの結果に対して分析し、それを合わせて全体の責任を明らかにする方が原因究明に役立つ。

 敗戦とともに流れてくる、チーム内の不協和音については、何故か毎度の大会の時に必ずある。その原因は、チームの人数が比較的多く、ある一定期間同じ場所で過ごすことになる女性集団に多い現象だと思う。

 その一つは、ストレスの発散を陰口をたたくことでしようとする傾向が女性に多い。2人寄れば必ずおしゃべりが始まり、3人、4人と集まれば噂話が始まる。男性の場合はおしゃべりでストレスを発散という傾向は少ない。

 その中で、噂話や陰口が外に漏れると仲が悪い集団だというレッテルを張られることに成る。女性集団にとって当たり前に起きることという事が忘れられてしまう。

 そのため、今回もそういった類の話が漏れてマスコミに取り上げられるようになり、それが発端で団体競技の前提である仲間意識が薄れてしまう。

 そういった女性の集団を率いていた佐々木監督は、それなりに特異な存在だったのだと思う。きっとこれまで長く率いてこれた理由も判る気がするが、その長く率いたことで気心の知れた選手を重用する傾向に陥りがちになり、その結果非情に成って選手選考が出来なくなった傾向がある。

 そして、彼にとって引き際は、カナダ大会の準優勝の時だったのだろう。ここで引けるか引けないかで評価は雲泥の差である。もし、あの時監督交代があれば、次期監督が否が応でも世代交代を計ったことだろう。そしてそれで失敗しても世代交代の途上で上手くチームが機能しなかったという言い訳ができただろうが、佐々木監督が続投することでそれに失敗した責任は遥かに次期監督が行うよりも責任が重いと思われる。

 いつも感じるのだが、トップの引き際の大切さは、高老齢化社会を迎えるに当たり、交代しなければならない本人がその時期に気付かないという事である。健康であればまだまだ大丈夫と思うきらいがあるが、居座ることで次の世代の成長を阻害している事に気付かない。

 まさしく、この先も色々な所で引き際の大切さを感じることだろう。そうなった時にどういった選択肢を取るのか改めて感じさせる今回の件であった。