カタルーニャの独立のつづき

 曇り、気温は17度。つい先日は雪が降ったのにこの気温の変動はすさまじい。これで体調をくず人が多くいるに違いない。

 

 昨日書いた記事が上手く反映されていなかったが、中途半端で終わってしまったのでその続きを書くことにする。


 昨日は、カタルーニャの独立の話に行く前のところで終わっていた。つづきを書く。

 スペインの歴史を調べると、紀元前2世紀、ローマとカルタゴの争い(ポエニ戦争)の後、イベリア半島はローマの支配下に置かれることになる。当然カタルーニャローマ帝国支配下になった。

 

 そして、415年西ゴート王国に支配され711年にはイスラム帝国支配下に置かれる。その時後ウマイア朝の時代が1031年まで続く。その後、ウマイア朝が滅亡した後に小王国に分裂した時に、現在の地名の由来となるセビリア王国、トレド王国、サラゴサ王国、グラナダ王国バレンシア王国等ができたわけである。

 こうしてみるとイベリア半島の地方はイスラム教の影響を結構受けているのだということがわかる。

 その後、イスラム教の支配からの脱出を考える小国の意思がカトリック教の援助を受けるようになっていく。そしてついに1492年スペイン王国が誕生するわけである。

 スペインはその後皆が知っている黄金時代を迎えることになる。その期間は16世紀から17世紀の間の80年間であったが、大航海時代の中で世界各地に植民地を形成していくわけである。

 

 そのスペインの栄華も1588年のアルマダ海戦でイギリスに敗れると急速に衰えていく。太陽が沈まぬ国と言われたのも今から見れば一瞬の出来事であったわけである。

 そしてその後ナポレオンにより一時はフランスに占領されるのだが、何とかスペイン王国は、持ちこたえてはいた。しかし、第一次世界大戦のあとの軍部のクーデータにより軍事国家の時代に突入したのである。その軍政も共和国を目指す民衆の力で倒され共和国となったのが1931年である。

 しかし、共和制も長く続かず、1936年にスペイン内戦が起こりその結果フランコ将軍が独裁国家を築くことになる。それもフランコの死後に終わり1978年民主国家が誕生する。

 昨日に続簡単にまとめてしまうとこうなるが、きっとその歴史の中で生き延びた人々にとっては色々なことがあったのは間違いない。

 歴史というのは、どうしても支配者の記録になる。支配者は変われどその土地に先祖代々住み着いて暮らす人の出来事は歴史の大きな流れの中では反映されにくいものである。

 これまでスペインの歴史をかいつまんで書いたが、カタルーニャの歴史についても簡単に記載しておかなければならないだろう。

 紀元前776年に今のカタルーニャ地方にギリシアの植民地を建設したのが国としての始まりとなるのだろう。その後は、地理的にイタリアとイベリア半島の通路に当たるため、御多分に漏れず色々な軍隊の行進経路になるわけである。

 そうしてバルセロナ地方が801年フランク大国の属国となりイベリア半島イスラム教徒の侵入を防ぐためスペイン辺境領と呼ばれる地帯に含まれるようになる。

 そして、878年ギフレー1世がバルセロナ伯に任じられカタルーニャ王国の始まりとなったわけである。この時点で、スペインとは別な国という根拠が生まれたのだろう。

 カタルーニャ王国は隣のアンゴラ王国と組み最大時は、イタリアを含む地中海の周辺を領土とする国になった時代もあった。

しかしその後、1469年カスティーリャ王国との婚姻による連合が出来上がり、事実上スペインの属国となるわけである。

 その後のスペインの繁栄とは裏腹にカタルーニャ王国は衰退していく。1635年から起きたフランススペイン戦争が起こるとカタルーニャ王国はフランス王国への編入を望みフランス軍が進駐することになる。

 戦争が1959年戦争が終わりピレネー条約により、カタルーニャ王国は分割されカタルーニャ地方はスペインの領土となったわけである。

 そして、1700年スペインハプスブルグ家最後の国王であったカルロス2世が死去した後、スペイン継承戦争が起こり、バルセロナがその争いの戦場となるわけである。その戦いに負けて本当にスペインの支配下になったのである。その時、スペイン軍に包囲されたバルセロナが陥落した9月11日は、あのバルセロナの試合の9分11秒でおなじみであるが、国民の祝日となった。

 スペインに支配され1716年に制定された新国家基本法によりカタルーニャ自治権が奪われ、公的な場所でカタルーニャ語が禁じられるわけである。

 今のスペインのカタルーニャ地方の歴史も簡単にまとめるとこういうことになる。世界史の教科書よりチョット詳しいぐらいであるので、もし必要なら各自で調べてみると良いだろう。

 この簡単な歴史のあらすじでもわかるように、元々の成り立ちがスペインの他の地方と別なわけである。また地理的にも地中海に面しフランスとの国境に接しているため、フランスに近い土地柄になるのもうなずける。

 最初に書いたようにヨーロッパは陸続きであり、多くの国が生まれては消えていった。その歴史の中で統合されて今のEUができたわけである。そういった国同士の争いを避け、緩やかな共同体として出来上がった故に、却って国としてのアイデンティティが芽生えたといって良い。

 昨日の記事にも書いたのだけれど、北海道も一時期アイヌ民族が支配していた土地である。とはいっても国として独立した国家として存在していたわけではないので、それとは別と言われればべつであるが、その歴史を基に北海道に暮らしている人が北海道の独立を願うようなものだろうと感じる。

 きっとカタルーニャ地方に住む人も、色々な国の制服により純粋なカタルーニャ王国の血筋を引く人はほんの一握りであり、その多くは移り住んできた人が混じり合ったものに既になってしまっていると考えられるわけである。

 しかし、アイヌの人の文化が伝承され今も残っていることを考えると、ここ北海道に暮らす先祖代々の歴史からアイヌの人の権利を主張するのももっともだと思う。

 しかし、いざそれを許すとそれとは元々関係ない人の権利の問題が発生してしまう。その部分を抜きにして独立に賛成するとは言えないだろう。歴史に書かれている文章を基に権利を主張できるのは、きっと1、2世紀の期間に限定されるだろう。そうなると親子5から6代くらい前までの権利ということになる。それ以上の権利を主張すると際限ないことになるからである。

 今回のカタルーニャ独立運動についても、歴史を振り返れば1716年が権利回復の主張のキーになると思うのだが、今から300年前の歴史を許すのかということになるためチョット微妙なラインではある。

 上に書いたように、カタルーニャ王国の末裔は存在するだろう。その人たちがまた自分たちの王国を再興したいとなるとやはり強力な後ろ盾が必要になるだろう。言うなれば力づくで独立することである。

 それ以外に、カタルーニャ王国を再興する術はないだろう。平和的に独立するといってもそれを許せばスペインという国から多くの独立国家が生まれる可能性がある。

 それを防ぐためには、スペインという国がそういった地方地方の自治権を認めるということになるだろう。国家を統一していくということは難しいということに尽きる。

 中東が今、国家としての基盤が軟弱で争いが頻繁に起こるが、一見安定しているようにヨーロッパも今回のカタルーニャ独立を機に不安定化していく可能性がある。それを防ぐために国家の保守化が進み軍事力の増強というのも同時に起こるというのは、安定と不安定を必ず交互に繰り返す人類の習性か来るものなのかもしれない。

 世界の軍事力の増強は、世界に不安定を増すのは間違いない。その不安定さの原因が世界が豊かになったことによる富の偏りによるものなのは明らかである。