曇り、既に道路わきの桜並木は満開かそれに近い状態である。例年よりも1週間以上早い開花である。異常気象というのは簡単すぎるが、その影響は出ているのは間違いない。
引用 朝日新聞(https://www.asahi.com/articles/SDI201805017817.html)
女性記者にセクハラ発言を繰り返したと報じられた前財務次官。この数十年間、社会や企業のセクハラ対策は進んだはずなのに、なぜ、権力を持つ人たちには届かなかったのか。
今回の問題、セクハラ発言をした財務官僚の落ち度はある。ただし、セクハラと取材活動が絡まってその状況がどうだったが不明なまま録音テープが証拠となりセクハラをした事実が認定された。残念なのは、取材という守秘義務に守られてか知らないが、この女性記者が命令されて取材に行ったのか自主的に取材活動を行ったかテレビ朝日から情報が出ない点である。
情報が無いため、この問題を取り上げるとセクハラの踏み絵を踏むことになる。女性に対するセクハラは問題だしこれを肯定することは無い。官僚の発言は、女性に対して使うべき言葉ではないことは確かである。あの発言は、そういった趣味趣向の男女が私的に会話する内容であるのは確かで、そういった関係がない女性に対して使うことは無い。
上のように断ったうえでつづきを書くことにする。今回の件、曖昧なまま終わりそうなので一つ書くのだが、今回の件は上に引用したように権力者のセクハラである。
一つは、直接のセクハラ発言を行った官僚、彼は情報を与えるという餌で女性を釣ろうとした。情報源からの情報リークで相手の特ダネを撮ろうとする意識を逆手に取った卑劣漢である。
もう一つは、女性に情報を漏らしやすいということで特ダネを得るために女性記者を近付けたマスコミの仕組みである。昔は、記者と言えば男性の職業だったが、女性の社会進出と共に女性記者が目立ち始め今では半々の印象がある。そして、テレビなどで見るインタビューを行っている女性記者が総じて若いことに気付く。年配の女性がインタビューを行っている姿を見るのは芸能関係のリポーターと呼ばれる人たちの中に見られるくらいである。
果たして、今回の女性好き官僚に対して担当取材記者を充てる役割の人間は、対象が女性記者に対して口が軽いという情報を得てわざと担当にあてがわなかったかである。もし、女性記者に対して少々のセクハラは我慢しろと言っていなかったかが問題だろう。その辺りの事情は、自分たちが取材対象でなければ根掘り葉掘り取材を行うのだが、相手はマスコミ仲間であり、更に相手を取材すれば同様の行為を行っているだろう自分たちにも跳ね返ってくることなので、この辺りの追及は殆どない。国会で盛んに使われだした忖度と同様の行為をマスコミが行っているのである。身内の不祥事を庇いあうのはどこの村社会のルールであるが、他と違うのは、ばれれば取材攻勢に遭うはずが遭わないというところだろう。
今回の件、山口メンバー事件で徐々に報道は下火になり消えていくだろう。その中で、財務官僚も退職したことで報道は無くなるはず。しかし、財務官僚も訴えるといっているが、それもなさそうな雰囲気を醸し出している。
世の中は、そういう具合に動いていると思えば不思議はない。長いものに巻かれろは世の常である。社会人を経験すると、ことを荒立てないことが生き抜くコツのようになっていしまう。それが良い管理職というものだと教えられるわけである。
引用したように、権力は色々な形で自分の生活に入り込んでいる。それは拒む拒まらずに関わらずである。権力者が公然と介入するかの国と違うところが慰めか。