晴れ、気温は5度.昨日より気温は低いのだけれど風がない分暖かく感じる.
学術会議の問題について.この話は、額実会議の在り方を問うという形で話が進むと思っていたがそうではにらしい.学術会議側の言い分は、自分達の名誉を守るために任命拒否した人を任命すべきだの一点である.色々問題となった学術会議の在り方について表立った声明は無い.国の機関としてではなく特定団体にすべきという案も検討された様子はなく.今まで通り国の機関として存続させろというのが結論らしい.この問題が起きたとき、この学術会議に属さない研究者たちは、この会議の存在を不思議がっていたが、そこに所属する当人たちにとってやはり住み心地の良い住処なのだろう.追い出そうとしたり形を変えようとすると自分達の思う通りにしたいのだろう.しかし、このコロナ過で学術会議は一体何をしたのかという成果の一つでも公表すれば良いと思うのだが.
痛ましい事件である.いじめ問題、大人社会でも存在するこの問題は、人間がもつ悪の素質である.
いじめ問題は、あるところで突然発生する問題でもある.どこかでタガが外れたという感じの部分である.それは余りにも苦しいものである.それを周りにいる大人たちが助けられれば良いのだが、大人も見て見ぬふりをする.時間が経ちその子供たちが卒業すれば解決すると思っているし、それを解決するために何をすればよいかという解決方法を知らないのだと思う.
本当に子どもに向き合い、その問題を解決しようとすると大変な負荷が掛ることを知っていて逃げることを優先にしがちである.もし、子供のいじめ問題を解決するには、そういった問題に対処できる専門家が必要なのだが、教師のすべてがその専門家と思われがちだが、大半の教師は塾の講師と同じ気分である.子供を教えることが仕事で、それ以外のことはある意味ボランティアと思っている.全ての教師が金八先生ではない.その所を我々社会は知っていて知らぬふりをしているのだと思う.先生という呼び方が聖職者に対する呼び名なら彼らはそう呼ばれるのには相応しくない.
解決できない問題を解決するには、それなりの専門家の養成が必要で、それを要請して事に当たらせるのが良いのだろう.無能な教師に期待しても結果は得られない.それが判っていても尚、大人社会は動こうとしない.これから先もいじめ問題は起きるだろう.人が集団生活をすると必ずついて回るものだからである.
しかし、専門家をと言うと自分達の能力を低く見るなと日教組の先生方は文句を言うのだろう.そういった専門家が学校を出入りすると権力からの圧力と騒ぎ立てるかもしれない.しかし、そういうことを言う前に自分達が解決に向けた努力をしていることを世間に知らせるべきだと思う.こういうことが起きると学校の教師は何をやっているのだと批判されるがそれが何かを変える切っ掛けになったという話は聞こえてこない.これは、文部科学省、日教組などが共同して取り組んでもらいたいのだが、日教組も最近組織率が低下していると聞く.
日本学術会議様、こういったいじめ問題について頭の良い方の集まりなのだから国に解決方法を提言してください.