報道する側の責任はどこにいった

 曇り、気温は10度.この時期としては高温である.しかし、風が強くそれ程暖かくは感じない.今日の夜には北海道に近付く寒冷前線の影響で道内は雨模様になっていくようである.

 

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 韓国での事故があり日本でもハロウィーンの仮装で有名な渋谷で厳戒態勢を敷いているとのニュースを見るにつけ、この渋谷の仮装を面白く取り上げ煽ってきたマスコミの責任もあるだろうと感じる.この時期渋谷にマスコミがその乱暴狼藉を取材するためにマスコミが大挙して訪れ、若者が暴走しているのをカメラに納めわざわざ放送していたわけである.

 仮装する若者は、見られることに喜びを感じる派なのでマスコミに取材されることに喜びを感じているわけで、そうなると全国からそういったものに興味がある人達が群がるのは当然である.そしていざ事件が起きるとそのマスコミ目当てに群がってきた若者を暴走だなんだかんだと批判する放送を流す.まさしく報道の罪である.

 

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 この問題、複雑な感想を持つ.東京都には公的扶助制度があり、当然ここいる人たちには生活保護を申請することは可能である.そこから出て就労の機会を与えるような仕組みも作られている.それでも尚公園などで生活する人たちは、そういった制度から抜け落ちてしまう人たちである.その人たちは死ぬまで公園で暮らすことをこの記事を書いた記者はどう考えているのだろうか?確かにここで炊き出しが行われ最低限の生活はできるだろうが、病気になってもここにいては医療も受けれないし、誰も介護をしてくれるわけではない.このままの現状を追認しろと言いたいのだろうか?もし、東京新聞がこの記事にあるように生活扶助を行うなら極論を言えば本社の

前で炊き出しを行う場所を提供するとかしているなら別だが、そういったことを行っているという事実はない.記事にすることは問題ない.社会における弱者を救うための行動を促すのは大切なことである.それを報道で手助けすることは新聞社としての使命の一つだろう.

 しかし、その弱者のために他の部分をどこまで犠牲にするかという部分で考えに隔たりがあることを記者の視点から書かれてはいない.そこにテントを張って暮らすことが許されるなら日本中どこにでもテントを張って暮らすことが許される.

 公共の援助でできることは限られている.ある一定の範囲で福祉が行われるのは当然のことである.限りが無ければ持続できないからである.以前、生活保護受給者が偽って長期ホテル滞在し生活保護費を不正受給したニュースがあった.これも、その人たちが満足するためにホテルに行ったのだから行政はそれを許すべきだとはニュースにしなかった.だまして生活保護費を不正に受給するのはけしからんというニュアンスで報道された.

 それがけしからんというなら、公的保護を受けられる権利がありながらそれを拒み公園で暮らす人はその公園を利用できる他の人たちの不便さを享受すべきなのだろうか?あるいは都市開発で必要な建物を建てるためにその公園を利用することはそういった人達が居たならできないことになるのだろうか?その辺りが判然としない.

 或いは上に書いたように東京新聞本社の前にテント村ができ、そのまま生活する権利を認めろと騒いだら東京新聞はどんな論調で記事にするのだろうか?記者は、そこに住み続ける人の自由を認めますと記事にするのだろうか?その辺り実際に実践してどういった記事にするのか読んでみたい気もするが、もしそんなことがあったなら東京新聞は不法侵入で警察を呼び退去を求めるのだろうと思うので、永久にそんな記事が出ることは無いだろう.

 記事を理想で語るのは、現状の解決策にはならない.全ての人が自分の勝手を通せばそこに同数或いはそれ以上の不自由を蒙る人が出てくる.そのことをバランスを持って判断するのは行政の役割となっているが、それも限界があることを記事にして欲しいものである.