苦情問題

 曇り、気温はマイナス8度.東の空の雲がサーモン色に染まり綺麗である.朝焼けは天候悪化のしるしと言われているが、それ程悪化はしなさそう.

 

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 このニュース、子供の声がうるさいとクレームを入れる一人の住民のために公園を廃止するという話だった.

 このニュースを要約すると、公園に隣接する土地に住む住民に何の断りもなく公園ができ、公園で子供たちが遊ぶ声がうるさいと苦情を入れた.更に自宅前に子供を迎えに来る親の車のエンジン音、敷地内に無断で入って来る子供たち等、その度に苦情を入れていた.

 この公園の雑草の処理などはボランティアが行っており、そのボランティア団体を構成する人たちが高齢化し数も少なくなり公園整備に協力できないという申し出、更に公園の土地は借地でもう少しでその借地権が切れる.そのことから市は公園を更地に戻し権利者に返すこととなった.

 

 苦情に対する対応の難しさがあるのは事実であるが、最初の対応をきちんと行っていればこうならなかったのかもしれない.

 住まいというのは、人生の半分以上過ごす大切な場所である.できるなら自分の思う通りに住みたいし、自分が満足できる環境で有って欲しい.更にある程度の街なら自治体が環境を整備することができる.

 しかし、人生はままならないもので、いつの間にか周囲の環境が変わり自分の望まないものが近くに出来てしまう.もし、それが固定のものならできた後ずーっと気分の悪い状態で暮らすことになる.それは嫌だから何としても元の環境に戻して欲しいと色々なところに働きかけることになる.

 自分の思い通りの環境に近付けるには、以前の状態に戻すことなのだが、残念ながらそんなことはできるわけはなく今の環境を受け入れるしかない.しかし、不満だから自分の意見を表明したい.

 自分の望まない環境を受け入れるか自分がその環境を放棄するしかない.何故なら嫌なものは嫌だからである.それを見て見ぬふりをできるのは夜寝る時に自宅に帰るような若い時代ならまだしも一日中その環境に合わせるのは拷問に近いものなのだろう.

 

 この問題は、公共の利益のために市民はどこまで我慢をしなければならないのかということである.普通、公共の利益のために市民の権利を制限されることは法律上に存在する.それは、一人の利益より大多数の利益が優先される時である.その代わり被害に応じて金銭なり代替土地の提供など補償される.山間部にダムを造りその周囲の土地の住民を移転させるなどはその例の一つである.

 今回の件は、公園の利用者の数とその利便性ということになるだろう.それによって蒙る市民の精神的物理的負担を比較し対策を講じる必要が出てくる.そう考えると公園として利用するのならこの市民が苦痛を最小限にできる対策が必要だっただろう.

 例としては、この苦情を入れた住民の家屋と公園の間に騒音を防ぐためのフェンスなどの設置が必要だったのかもしれない.更に家屋に防音工事をするなど対策も可能だったのかもしれない.

 それができないほど予算が無いのなら、相手に対して解決方法が無いのか対話が必要だのだろう.住民の苦情に対してどのような対応を行ったがニュースでは不明なためこれ以上のことは書けないが、こういったことは日本に住む誰もがこの先経験することかもしれない.