報道の自由

 曇り、気温は15度。夜が明けたころは朝日がまぶしかった時間帯もあったのだが、徐々に雲が多くなり今は全天雲でおおわれている。

 今日は子供の日、通りの商店の鯉のぼりは元気よく尾びれを揺らしている。

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 北海道の西にある低気圧が徐々に東に進み前線を伴うようになってくる。夕方には日本海側から雨になりそうである。この低気圧は数日、日本海側に停滞しているようだ。

 

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 この件、新聞、テレビ等で報じられている。何故日本は報道の自由度が悪化しているかという部分でその理由は、「商業的利益、政治的圧力や男女不平等などにより、ジャーナリストが監視機能を十分果たせないことも多い」と指摘。「政府を批判したり、『非愛国的』テーマを扱ったりするジャーナリストを、国家主義者らがソーシャルメディア上で日常的に攻撃している」ということである。

 この部分、やはりマスコミのインターネットに対する対応がまだ不十分であるのではないかと思う。本来なら情報を発信する媒体であるのだからネットで十分存在価値を高められるはずだったのになぜかインターネット初期のマスコミはそこに積極的に関与することはなかった。情報という強みを持ちながらネットで情報を独占したのはマイクロソフトやグーグルといった検索を主としていたブラウザーの会社であった。そこに情報を提供するだけの黒子に徹することになった。その遅れが今も響いており、永遠に廃れないだろうと思われた新聞、テレビが斜陽を迎える。そのため取材力は落ちネットで情報を漁るということが女子機になってしまった。情報を探し出すことを得意としていたのだが、いつの間にか情報を買う側に回ってしまったわけである。

 そのため報道の自由といいながら、ネットの情報を使って記事を書くようになった時点で地分たちの強みを自ら放棄したといわざる負えない。確かに、記事に対するネットの反応は過激でマスコミといえども無視できない勢力になってきており、ひとたびネット上炎上すれば会社の存続にも影響を与えるようになってきている。

 報道の自由は保たれていると思うのだが、その報道という中身が劣化していることにマスコミ自信が気付いていないのなら今後も日本の評価は低下していくだろう。やはり報道する側に何らかの権力が無ければ安心して記事を書くことができないからである。