親子というもの

 曇り、気温は12度。

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 北海道周辺は相変わらず気圧の不安定な地域になっている。高気圧に覆われそうだがこの高気圧は周りに低気圧があるために疑似的に気圧が高くなっているだけで強い勢力を保っているわけではない。

 しかし、西日本にある高気圧はしっかりしたものなので西日本から晴れ間は広がってくる。

 

mainichi.jp

 昨日、すすきの首切殺人事件の裁判が先行して母親を被告として行われた。既に事件発生から1年に成ろうとしている。既に過去の事件となっているし、この事件の全貌が明らかになったとしても加害者、被害者共に人生をやり直すことはできない。

 この件で母親が主張する親子関係の逆転化だが、引きこもりの家庭環境の中でそれを解決しようとして子供を庇いすぎるといつの間にか子供に従うことで解決できるのではないと勘違いしてしまうことがある。その関係を求めていたのが精神科医の父親というのがこの事件のキーなのだろう。

 一般的に考えれば精神科医は人の心を分析しその心の動きを正しい方向に導くことができるエキスパートと思っているだろう。実際の精神科医は、エキスパートではなく只の医師の資格をもった人間でしかない。それは心の動きを学問として学び、過去の症例の対処方法から治療法を学んできた。それは、100人いれば100通りあるはずの治療法をある標準化したルールを実践しているだけで、それぞれの人に対応した治療を行えるわけではない。その中でその人の心のメカニズムを理解できる医者は一握りであるし、正しい治療ができるのも難しければ人の心を治すのは容易ではない。

 一般的な精神科医がそのような中で、この父親の精神科医は子供に服従することで子供が世間一般に対応できると考えたのだろうか?それとも自分たちがこの世からいなくなればその娘は普通に生きられないのだから自分たちがそばにいる間は他人を殺してでも守ろうとしたのだろうか?

 親として自分の分身である子供は溺愛の対象になりうるし、子供が不幸ならそれを改善してあげたいというのも親心(共依存の関係)になる。子供の不幸は自分の不幸として受け入れてしまえば子供が喜ぶことは自分の喜びになるのは想像がつく。

 

 精神科医が自分の子供に精神をコントロールされることは、普通は考えられないのだが、精神依存していたのは精神科医であるという事実は世にも奇妙な物語である。