曇り、気温は1度。
冬至は、季節の変わり目の指標としては大事な日である。今年は、12月22日がその日である。この日を過ぎると根雪に成り冬本番となる。決して日が長くなるから暖かくなるというものでもないのが残念ではあるが。そういう意味で夏至もその日で夏が終わるのではなく始まりというのも面白い。
そして、その冬至の日が来るまで本当に正確に日は短くなり、朝は7時頃まで太陽が昇らない。それが本当に計ったように進む。これは色々な事を知っていれば当然の事だが、まだ時計という機械が無く時間を計ることのできなかった時代に生きた人たちは、この日の長さをどのようにして計ったのだろう。
まず自分がその時代に生きていたとしたらと仮定して思うのは、きっと月日の移り変わりの中で、太陽が真上に来る高度が変化していることに気付いただろう。高度は、山とかを基準にすれば容易に判るし、太陽が昇る位置、沈む位置が季節によって変化することも気付いただろう。
そして、太陽が昇り沈む位置によって日の長さが違う事に気付く。そして一番日が長い日は、太陽が一番真上に有り、そして一番日が短い日は、太陽が一番低い位置を通ることに気付いただろう。
そのことを調べるには、高さの変わらない木の棒でも石でも良い、それを地面に差し、その影が通る道筋を記録していけば良い。それはまさしく日時計である。それを毎日、毎年続ければ、一年という概念が出来上がりその影の進む速度が時間という概念を生み出したことだろう。
しかし、そこで悩むのがうるう年の問題である。地球が太陽の周りを回っていることを知らない人間はそれを太陽の気まぐれと感じたのだろうか。
それを除けば、太陽の運行は一定で、誰もがそれを妨げることのできないものだと感じただろう。
そして、太陽と同じく夜空に浮かぶ月の存在がある。こちらも太陽と密接な関係を持ち、満ち欠けすることは毎日夜空を観測していれば気付いただろう。その満ち欠けに一定の周期を持ち、真夜中に現れたり、日中に浮かんでいたりすることも何らかの法則で動いていることを感じただろう。それも季節の節目の目印として重要な役割をはたしていたわけである。
そして太陽の動きと付きの動きから時間を知り暦が生まれ、それから時を刻む時計が作られた訳である。そして、人類が生まれた時から冬至は存在し、一番太陽が低い位置を通り、そして、日が一番短いことを知っていたはずである。きっと古代の人にとって、この日から日がまた長くなることに感謝し、新しい一年が始まると思ったのだろう。それは祝いの日であったに違いない。