テロ行為を許す者は未来を破壊する

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 この件、テロを行った人物を英雄と持ち上げる風潮に怒りを覚える.相手の存在を暴力で亡き者にしようとする思想は、極左、極右両方の陣営の人間に多く、自分達の理想社会を作り上げるために暴力で相手を屈服させることを厭わない.それで自分達の信じる理想社会ができたところで、その理想社会の中で異端の考えを持つ者を常に排除する繰り返しになるだろう.それが理想なのかと思うと身震いする.更にそういった人間の中に憲法第9条を守れと宣う人間もいるのである.その憲法を守るために平和的解決ではなく暴力的な方法も許されるのだと言うのだからあきれるばかりである.

 少なくとも彼らの考える自分達の理想社会は、間違いなくある特定の人間の理想に過ぎない.その特定の人間のさじ加減で排除される社会を理想と言えるだろうか?それなら今のごった煮のような色々な思想を持つ人間がそれなりに許容される社会の方がまだましである.

 テロを行った者に同情を寄せることがそういった行為を今後も許すようになる社会は、一見善人の考えに思えるが、それが横行する社会に繋がる切っ掛けになることを知るべきだ.と言ってもその本人たちは聞く耳を持たないだろうと思うとむなしくなるばかりである.

 

 それは、ウクライナ戦争にもつながる.今回のロシアの言い分は自分達の理想と違う考えを持つ隣国を正しい方向に導くという何ともな発想から出来ている.そしてその発想を実現しようとしたのはプーチンである.

 その暴力的な行為に対して暴力的な方法でしか対応できないウクライナも不幸を背負ったわけである.本来なら自国の領土にロシアが侵入した時に相手を凌駕する武力を保持していればロシアも簡単には軍隊を進行させることはできなかっただろう.

 暴力に対して暴力で対抗しなければならないのは何故?そしてロシア軍の砲撃で多くの民間人が犠牲になる.それに対してロシアの民間人は被害を受けていない.そして積極的にではないかもしれないがその戦争に対して表立って反対することは無い.

 

 日本国内のテロ行為を批難する一方で、ウクライナのロシアに対する反攻は正義とするなら暴力を是とすることになる.ウクライナがロシアに屈服すればウクライナ人が求める理想社会は作れないことになる.屈服すればロシアが求める理想社会を受け入れるしかなくなる.それをさせないための暴力が許されるとしたら、日本国内で起こるテロも許容しなければならないとなるだろう.

 

 しかし、今の日本の社会は、日本人の多くが許与できる理想社会の状況に近いと言える.この社会が色々な矛盾を抱えているとしても、その解決に対して民主的な手続きが行われている事実がある.その理想に近付く過程にある社会を一部の思想を持った人間が壊さないようにするために警察という組織が存在してる.暴力に対して一般人に代わって暴力に対抗する組織である.少なくとも直接的に一般人が暴力的な行動を抑止する仕組みが出来上がっている.

 そして、裁判という仕組みでその犯した行為が許されるものか許さざるものかを判断する手続きが存在する.その仕組みの中で国民が理想的な生活が送られるように守られているわけである.

 戦争とテロ行為が違うのは、自分達が求めている理想社会の仕組みを内部の反社会的人物が壊そうとするのがテロ行為であり、戦争は自分達の理想社会と国民を守るために行う行為であるということである.テロ行為が許されず戦争が許されるのは、自分達が作り上げた或いは作り上げようとする理想社会を守るためだからである.

 テロ行為を行う者も共同体の一員であり、社会を形作る構成員の一人である.侵略者は自分達の共同体の一員ではないことは明らかである.